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東京地方裁判所 平成3年(行ウ)126号 判決

原告

趙南

右訴訟代理人弁護士

伊藤和夫

池田純一

岩城和代

野本俊輔

住田昌弘

近藤真

小川原優之

山岸和彦

竹岡八重子

阿部裕行

鼎博之

関聡介

被告

法務大臣

前田勲男

右指定代理人

矢澤敬幸

外八名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告が原告に対し平成三年三月七日付けでした難民の認定をしない旨の処分を取り消す。

第二  事案の概要

出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)六一条の二第一項は、被告は、本邦にある外国人から申請があったときは、その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認定(以下「難民の認定」という。)を行うことができると定めている。そして、同条二項本文は、右申請は、その者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日)から六〇日以内に行わなければならないとするが、同項ただし書によれば、やむを得ない事情があるときは、この限りでないとされる。

本件は、本邦に在留中の中華人民共和国(以下「中国」という。)国籍を有する原告が、いわゆる天安門事件に関連して中国の民主化運動をしたこと等により、難民となる事由が生じたとして、被告に対し、法六一条の二第一項に基づき、難民の認定の申請をしたところ、被告が、右申請は、同条二項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められないとして、難民の認定をしない旨の処分をしたことから、原告が、被告に対し、右処分の取消しを求めている事案である。

一  当事者間に争いのない事実

1  原告は、中国国籍を有する外国人である。

2  原告は、昭和六三年九月二七日、日本語の勉学を目的として、「法務大臣が特に在留を認める者」(平成元年法律第七九号による改正前の法四条一項一六号、平成二年法務省令第一五号による改正前の法施行規則二条一項三号)に該当する者としての在留資格及び在留期間六月の上陸許可を受けて本邦に上陸し、その後、三回、右在留期間の更新の許可を受けた。

3  原告は、被告に対し、平成二年九月七日、大学に入学したいとして在留資格変更許可申請をしたが、被告は、平成二年一〇月二五日、右申請を不許可とした。そこで、原告は、被告に対し、右同日、在留資格変更許可申請をし、法別表第一の三の在留資格「短期滞在」(出国準備期間)及び在留期間九〇日の許可を受けた。

4  原告は、被告に対し、平成二年一二月六日、法六一条の二第一項に基づき、難民の認定の申請(以下「本件申請」という。)をしたところ、被告は、平成三年三月七日、右申請が同条二項所定の期間(以下「申請期間」という。)を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められないとして、難民の認定をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

原告は、被告に対し、同月一四日、本件処分を不服として異議の申出をし、右異議は、現在被告において係属中である。

二  争点 本件において、原告は、①原告に難民となる事由が生じたのは平成二年一一月以降であり、原告が右事実を知ったのは同月末であるから、本件申請は、申請期間内にされたものである、②仮に、本件申請が申請期間経過後にされたものであるとしても、そのことについて法六一条の二第二項ただし書にいう「やむを得ない事情」があったというべきである、③右のいずれの主張も認められないとすれば、申請期間を制限する法六一条の二第二項は不合理なものであり、難民の地位に関する条約(以下「難民条約という。)及び難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)の趣旨にも反し無効というべきであるから、本件申請が申請期間を経過してなされたこと等を理由とする本件処分は違法である、と主張するのに対し、被告は、そのいずれの主張についても争っている。

したがって、本件の争点は、①原告が難民となる事由を知った日はいつであるか、②本件申請が申請期間経過後にされたことについて、法六一条の二第二項ただし書にいう「やむを得ない事情」があるか否か、③申請期間を制限する法六一条の二第二項は無効か否かであり、これらの点に関する当事者双方の主張の要旨は、次のとおりである。

1  原告が難民となる事由を知った日はいつであるか。

(一) 原告の主張

(1) 難民条約は、難民の認定の申請が申請期間を遵守していないという理由で、申請者が難民に該当するか否かという実質的要件の審査を行わないという取扱いをしてはならないことを要求するものであり、法六一条の二第二項所定の申請期間の制限は、右の難民条約の趣旨に適合するように解釈、運用されなければならない。

また、諸外国の立法例をみても、申請期間の制限規定はほとんど設けられておらず、右制限規定を設けている国においても、申請者の難民該当性の審査が行われていることに照らすと、難民の認定の申請については、難民であるか否かという実体的な判断をすべきであるという国際慣習が存在しているというべきである。

(2) このような見地からすると、法六一条の二第二項にいう「その事実を知った日」とは、申請者について、難民となる事由、すなわち、難民条約一条に定めるような迫害を受けるおそれが生じることとなるような事由が生じた場合に、その事実を申請者が認識した日をいうものと解すべきである。また、右の難民となる事由を「知った」とは、申請者が単に主観的な危惧感や抽象的な認識を有しただけでは足りず、難民となる事由が生じたことについて、難民の認定の申請が可能な程度に、具体的、客観的な資料に基づいて現実に知ったことをいうものと解すべきである。

したがって、同項にいう「その事実を知った日」がいつであるかを判断するためには、申請者について、難民となる事由が生じた(客観的要件)時点を判断した上で、申請者が右事実を具体的、客観的な資料に基づいて現実に知った(主観的要件)時点を判断すべきである。

(3) 原告は、昭和五三年に北京で起こったいわゆる「北京の春」と呼ばれる民主化運動に参加し、「人民論壇」、「四五論壇」、「探索」、「今天」等の雑誌の編集を担当していたところ、昭和五七年八月、中国公安局に逮捕され、約二年間身柄を拘束された。

また、原告は、本邦に入国した後、平成元年六月四日に起こったいわゆる第二次天安門事件に関連して、中国の民主化運動を支援する旨の詩や評論を発表したり、募金活動をしたり、中国政府に対する抗議集会や抗議デモに参加するなどした。さらに、原告は、平成元年九月、パリで開催された民主中国陣線の結成大会に日本代表として参加し、平成二年一二月から平成四年末まで、その日本支部代表を務めた。なお、民主中国陣線は、中国の民主化の促進を目的として結成された組織で、中国政府から反革命組織に認定されている。

このように、原告は、在日中国人留学生による中国の民主化運動の指導者の一人として、継続的かつ精力的に中国政府を批判し、民主化を求める言論及び活動を展開したものである。

ところで、中国政府は、天安門事件関係者の処罰について、戒厳軍に対して暴力行為をした者と知識人、学者等言論活動により、民主化運動に携わった者とを分け、前者に対しては右事件直後から厳罰に処す一方、後者に対しては処遇を明確にせず、一部を釈放するなどの措置をとり、海外の民主化活動家に対しても宥和的な方針を表明していた。ところが、中国政府は、中国で開催されたアジア大会終了後である平成二年一一月一〇日ころから、後者に対しても裁判を実施するなど厳罰で処す方針を表明し、昭和五三年以来の民主化活動家である王軍濤及び陳子明が反革命罪で起訴されるに至った。

以上のような原告の経歴及び本邦における活動及び中国政府の対応に照らすと、原告については、平成二年一一月以降、難民となる事由が生じた、すなわち、中国に帰国すれば、政治的意思を異にすることを理由として、生命、身体にかかわる重大な迫害を受けることが明らかになったものというべきである。

そして、原告は、同月二九日ころ、中国政府の方針変更を知り、同政府から迫害を受けるおそれを具体的、客観的な資料に基づいて現実に認識するに至ったものである。

したがって、本件申請は、右時点を起算日とすれば、法六一条の二第二項所定の申請期間内にされたものであるから、適法である。

これに対し、被告が、平成二年七月又は同年九月を申請期間の起算日と判断したことには、事実の誤認があるというべきである。

(二) 被告の主張

(1) 法六一条の二第一項によれば、被告は、申請者から難民の認定の申請があった場合に、その提出した資料に基づき、その者を難民に認定するか否かを判断するものであるから、難民の認定の申請における挙証責任は申請者が負うものと解される。

そして、法六一条の二第二項にいう「その事実を知った日」とは、申請者において難民となる事由が生じたと認識した日をいうところ、申請期間が、難民の認定を受けるための要件であることに照らすと、「その事実を知った日」から六〇日以内の申請であることの挙証責任は申請者が負うというべきである。

そこで、被告は、申請者が提出した資料に基づき、「その事実を知った日」を認定し、これが右資料のみでは明確でない場合には、難民調査官に事実の調査をさせ(法六一条の二の三第一項)、右資料、難民調査官の調査結果及び自ら収集した資料に基づいて認定することになる。

(2) 本件において、原告は、被告に対し、「政治難民申請の期限に関する説明」と題する書面を提出したところ、右書面には、①原告は、平成二年七月、雑誌「民主中国」第一二期に掲載された記事を読み、国外の民主化運動に参加した留学生が第五類(国内外の反中、反共勢力と結託して情勢の悪化を企む者)として迫害の対象とされていることを知った、②原告は、同年九月、中国民主陣線日本支部の理事である韋弦から、中国当局が作成した「日本における民主化活動分子のリスト」に原告の名前が搭載されていることを聞かされ、身の危険を感じた旨が記載されていた。また、原告は、難民調査官の調査においても、同旨の供述をした。

右の原告が提出した資料及び難民調査官の調査結果に照らせば、原告は、平成二年七月又は遅くとも同年九月に、難民となる事由が生じたという事実を知っていたというべきである。

したがって、本件申請は、申請期間経過後にされたものであるから、原告に難民の認定をしなかった本件処分は適法である。

2  本件申請が申請期間経過後にされたことについて、法六一条の二第二項ただし書にいう「やむを得ない事情」があるか否か。

(一) 原告の主張

(1) 後記のとおり、申請期間を制限する法六一条の二第二項は難民条約に違反する疑いがあるところ、右規定を同条約の趣旨に適合させるためには、同項ただし書にいう「やむを得ない事情」は、申請者それぞれの具体的な事情を斟酌して、できる限り緩やかに解すべきである。たとえば、申請者が、第三国に出国を希望する等諸般の事情により本邦に難民の認定の申請をしなかったが、後に状況が変化し、最終的に本邦に定住する意思を固めて右申請をするようになった場合にも、「やむを得ない事情」があるものというべきである。

(2) 日本国を含む欧米先進諸国は、天安門事件後の平成元年七月に開催された先進七ヵ国首脳会議(以下「アルシュ・サミット」という。)において、各国に在留中の中国人留学生が希望すれば、その滞在の延長を認めることを合意し、右合意は、平成二年七月に開催された先進七ヵ国首脳会議(以下「ヒューストン・サミット」という。)において再確認された。

ところが、日本国政府は、本邦に在留中の中国人留学生から中国情勢の変動を理由に在留期間の更新等の申請があった場合には、一律して滞在の延長を認めるのではなく、個別の事案ごとに検討して対応するという方針を決定したため、原告は、被告が原告の在留についてどのような対応をするのかを待った上で、難民の認定の申請をするか否かを決定せざるを得ない状況に置かれることになった。そして、被告は、原告の在留資格変更許可申請に対し、平成二年一〇月二五日、在留資格を出国準備のための短期滞在、在留期間を九〇日とする許可をすることとし、この時点になって初めて、原告に対し、アルシュ・サミット等における合意に基づく保護を与えないことを明らかにした。

さらに、原告は、活動の拠点をアメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)に置くことも考え、在日アメリカ大使館にアメリカへの入国の申請をしたが、右申請は不許可とされた。

このように、原告は、本件申請の直前になってやむなく本邦に難民としての保護を求めることを決意したのであるから、本件申請が申請期間経過後にされたことについて、法六一条の二第二項ただし書にいう「やむを得ない事情」があるというべきである。

(二) 被告の主張

(1) 法六一条の二第二項ただし書にいう「やむを得ない事情」とは、同項が申請期間を六〇日に制限している趣旨に照らすと、申請期間内に難民の認定の申請をする意思を有していた者が、病気、交通の途絶等入国管理官署に出向くことが物理的に不能になった場合のほか、本邦において右申請をするか否かを決定するのが客観的にも困難と認められる特段の事情がある場合、たとえば、申請者が第三国において難民としての保護を受けることを希望し、その目的で右第三国への入国申請等の具体的手続を行い、本邦に難民の認定の申請をしないまま申請期間が経過したところ、第三国への入国申請が認められなかったため、やむなく本邦において難民としての保護を希望するに至り、その後、合理的期間内に難民の認定の申請をしたという場合をいうものと解すべきである。

(2) 原告は、難民調査官による調査において、平成二年九月一八日、在大阪アメリカ総領事館において、民主中国陣線第二回世界大会への出席を目的として査証の申請をしたが、不許可となった旨供述しており、原告のアメリカへの入国申請が、難民として同国の保護を受けることを目的としたものでなかったことは明らかである。

仮に、右入国申請が、難民としての保護を受けることを目的とするものであったとしても、本件申請は、右入国申請が不許可となった日から六〇日以上経過してなされたものであるから、本件申請が遅延したことについて、やむを得ない事情があったとは認め難い。

3  申請期間を制限する法六一条の二第二項は無効か否か。

(一) 原告の主張

法六一条の二第二項は、申請期間を難民となる事由が生じた事実を知った日から六〇日以内に制限しているところ、難民の認定の申請は、申請者にとって、半永久的に祖国へ帰国しないという重大な決断を要するものであり、その決断をわずか六〇日以内にすることを求めるのは酷であること、申請者が、本邦に在留しながら、迫害のおそれの存否を正確に判断したり、それを裏付ける証拠を入手するのは困難であることに照らすと、不合理なものというべきである。

また、難民条約三一条が、不法滞在者については、遅滞なく当局に出頭し、かつ、不法滞在の相当な理由を示すことを条件として、不法滞在を理由として刑罰を科してはならない旨を定めていることからして、同条約及び難民議定書は、原告のような合法的入国者は、いつでも庇護の申出をすることができるとしているものと解すべきである。

しかも、外国人には申請期間の制限規定が設けられていることについて周知性がなく、諸外国の立法例をみても、申請期間を特定の日数に限定する規定はほとんど設けられていない。

したがって、法六一条の二第二項は、不合理であり、かつ、難民条約及び難民議定書の趣旨に反する無効なものというべきであるから、本件申請が申請期間を経過してなされたこと等を理由とする本件処分は違法である。

(二) 被告の主張

法六一条の二第二項が申請期間を難民となる事由が生じた事実を知った日から六〇日間に制限しているのは、迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者は、その恐怖から早期に逃れるため速やかに保護を求めようとするのが通常であると考えられること、難民の認定の審査を行う際、難民となる事由が生じてから長期間が経過すれば、事実の把握が困難となり、公正な難民の認定が行い難くなること、我が国の国土面積、交通通信事情、地方入国管理官署の所在地等の地理的、社会的実情に照らすと、六〇日という申請期間は申請を行うのに十分なものといえることなどによるものであり、右規定を不合理なものということはできない。

また、難民条約及び難民議定書は、難民の認定手続を何ら定めていないから、どのような手続を定めるかについては締結国の立法裁量にゆだねられているのであって、締結国は、その国の事情に応じた法律を制定し得るというべきであり、仮に、我が国の難民の認定手続が、諸外国の法制度と異なるとしても、難民条約等に違反するものではない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(原告が難民となる事由を知った日はいつか。)について

1 法六一条の二第一項が、被告は、難民の認定の申請をした者の提出した資料に基づき、難民の認定をするか否かを判断する旨定めていることにかんがみると、申請者が難民に該当することについての主張、立証責任は、申請者が負うものというべきである。

ところで、法六一条の二第二項は、本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日から六〇日以内に難民の認定の申請をしなければならない旨を定め、申請者が申請期間内に申請をしたことを、難民の認定を受けるための手続的要件としているのであるから、申請者は、申請期間内に申請をしたことについても、主張、立証責任を負うものと解すべきである。

このような見地からすると、申請期間の起算日となるべき法六一条の二第二項にいう「その事実を知った日」とは、申請者において難民となる事由を知ったと主張、立証する時点をいうものというべきである。これを実質的にみても、難民の認定の申請は、申請者において迫害をうけるおそれがあるという恐怖を有していることに基づくものであるところ、いつの時点でそうした恐怖を有するに至ったかについては、申請者が最もよく知り得る立場にあるのであるから、右時点を申請者が明らかにするのが相当である。

2 これに対し、原告は、申請期間の起算日を判断するためには、申請者について難民となる事由が生じた時点を認定した上で、申請者が右事実を具体的、客観的な資料に基づいて現実に知った時点を判断すべきである旨主張する。

しかしながら、法六一条の二第二項は、難民となる事由が生じてから長期間経過後に難民の認定が申請されると、その当時の事実関係を把握するのが著しく困難になることから、適正な難民の認定を行うために申請期間を制限したものであり、申請期間内の申請であることが認められた場合に初めて、申請者が難民に該当するか否か、すなわち、難民条約一条に定める迫害を受ける十分なおそれが認められるか否かという実体的な判断をするものと解すべきところ、仮に、原告が主張するように、申請期間の起算日を判断する前提として、申請者について難民となる事由が生じた時点を判断しなければならないとすれば、難民となる事由が生じてから長期間経過後に申請がされた場合であっても、その事実関係を把握しなければならないことになり、同項の趣旨が没却されることになりかねない。しかも、政治情勢が不安定な国について、いかなる時点で難民となる事由が生じたかを客観的に把握するのは、それ自体極めて困難であり、かつ、高度の政治的判断を要するものであることにかんがみれば、法が被告に右の点の判断まで要求していると解することはできないといわざるを得ない。

したがって、原告の右主張は採用することができない。

3  そこで、原告が、いかなる時点を難民となる事由を知った日であると主張、立証したのかについて検討する。

(一) 証拠(原告本人尋問の結果、証人勝田健三の証言及び末尾に掲記した各書証)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、被告に提出した難民認定申請書において、本国へ戻れば迫害をうける理由が「特定の社会的集団の構成員であること」及び「政治的意見」にあるとした。(乙二号証の一)

また、原告は、被告に対し、理由書を提出したところ、右書面には、本邦入国前、中国において民主化運動に参加していたこと及び本邦入国後、中国の民主化運動を支援する活動に参加し、中国政府から反革命組織と宣告された中国民主陣線の指導者の一人となったことから、中国政府から攻撃すべき対象に挙げられ、帰国すれば政治的迫害を受ける危険がある旨記載されていた。(乙二号証の四)

さらに、原告は、被告に対し、平成三年一月八日付けの「政治難民申請の期限に関する説明」と題する書面を提出したところ、右書面には、平成二年七月、雑誌「民主中国」第一二期に掲載された記事を読み、中共教育委員会の文書が定める第五類に該当し、迫害の対象となっていたことを知った、同年九月、中国民主陣線日本支部の理事である韋弦から、中国安全部の職員が発したという「日本における民主化活動分子のリスト」のファックスに同人と原告の名前が搭載されていることを教えられた、韋弦は直接的な脅威を感じてアメリカ政府に政治亡命の申請をし、原告も自分の身が既に危機に瀕している旨を感じた、という記載がなされていた。(乙五号証の一、二)

なお、前記「民主中国」の記事は、「中共外国駐在大使館、領事館教育参事官、領事会議文書」と題するもので、アメリカ及びカナダに在留する中国人留学生に対する対応として、第五類(反政府活動を積極的に組織、画策している反動積極分子)は、暴露と攻撃の対象であり、中国政府は、確実な証拠があれば、留学生としての資格を取り消し、出国、留学費用をすべて返還するよう命じ、パスポート期限の延長手続をせず、あるいはパスポートを失効させ、反政府の立場を放棄し、実際に悔悟を示すまでは帰国を許可せず、元の職場の公職から追放し、家族の訪問も許可しない等の具体例を示しているものであった。(甲六五号証、乙五号証の三、四)

(2) 大阪入国管理局就労永住審査部門難民調査官勝田健三(以下「勝田調査官」という。)は、右各資料を調査した結果、本件申請が申請期間内にされたものかどうか、右期間後にされた申請であるとすれば、やむを得ない事情があったかどうかについて、慎重を期して確かめる必要があると判断し、平成三年一月三〇日、原告から事情を聴取した。

原告は、勝田調査官による事情聴取において、平成二年七月、前記「民主中国」の記事を読み、自分が第五類に該当し、迫害をうける対象になることを知ったこと、同年九月、韋弦から、中国当局が作成したという前記リストに自分の名前が搭載されていることを教えられて身の危険を感じ、これが難民となる事由を知った日であったことを供述した。原告は、右事情聴取において、同年一一月末に迫害をうける危険を感じた旨の供述を一切しなかった。(乙四号証)

(3) 被告は、原告が提出した難民認定申請書等の資料及び勝田調査官の調査結果を検討した結果、原告の難民となる事由を知った日は、原告が前記「民主中国」の記事を読んで中国当局から迫害をうける対象になることを知った平成二年七月又は遅くとも同年九月であると判断した。

以上の事実が認められ、右事実を覆すに足りる証拠はない。

(二) ところで、証人勝田健三の証言によれば、勝田調査官は、原告への事情聴取を一問一答形式で行い、同一の質問を何度も聞き返したこと、原告も、納得がいくまで質問を聞き返すなど慎重に対応していたこと、通訳人は通訳業務につき高く評価されている者であったこと、勝田調査官は、原告の供述を録取した調書を作成して、原告に読み聞かせた後、原告の要求に応じて原告の主張を付加し、右付加部分の読み聞かせもし、原告は右調書に署名をしたことが認められる。また、原告本人尋問の結果によっても、原告の勝田調査官に対する供述の任意性及び信用性並びに通訳の正確性に疑いを差し挟むに足りる事情は何ら見当たらない。しかも、原告の勝田調査官に対する供述内容は、原告が自ら提出した理由書や「政治難民申請の期限に関する説明」と題する書面に記載された内容にも合致しているものである。

これらの点にかんがみると、原告の勝田調査宮に対する供述内容は、原告の意思を十分に反映したものであるというべきである。なお、原告の陳述書(乙二号証の三)及び勝田調査官に対する供述には、平成二年一〇月二五日に、在留資格を出国準備のための短期滞在、在留期間を九〇日とする許可を受けて、帰国という事態に直面し、人身の安全が極度に脅かされることになった旨の部分があるが、これは、原告の在留期間にかかわることにすぎず、難民となる事由を認識した時期とは別のことをいうものというべきである。

そうすると、原告が提出した各資料及び原告の勝田調査官に対する供述に照らせば、原告は、平成二年七月又は遅くとも同年九月に難民となる事由を知ったと主張、立証したものというべきであるから、被告が、申請期間の起算日が平成二年七月又は遅くとも同年九月であると判断したことは、是認できるというべきである。

(三) これに対し、原告は、難民となる事由が生じたことを知った時期に関し、中国政府は、平成二年一一月一〇日ころ、平和的活動家についても裁判を実施し、このことを同月下旬ころに知り、迫害について具体的な恐怖を感じた旨、前記「民主中国」の記事は、アメリカ及びカナダに在留する中国人留学生の民主化活動家に対して中国の在外公館がいかなる措置をとるべきかを述べたものであって、それらの者が中国に帰国した場合の措置や在日中国人留学生に対する措置に言及しているものではないから、原告が第五類に該当するとしても、このことから直ちに、原告が帰国すれば迫害を被るとは断言できない状況であり、かつ、原告が迫害を受けるとの具体的な認識を持ったということはできない旨主張する。

そして、原告本人尋問の結果には、次のような部分がある。すなわち、原告の平成二年一一月までの中国情勢に対する認識は、このまま民主化活動家が釈放されていく可能性、政変が起こり現指導者が失脚して天安門事件の罪を問われた人々の名誉が回復される可能性、又は平和的活動家に対しても弾圧の方針が明確にされる可能性がそれぞれあるというものであった、原告は、前記記事を読んで中国の在外中国人留学生に対する政策の参考にする価値はあると思ったが、これにより現実の危険をかんじることはなく、難民の認定の申請をすることは考えなかった、原告は、韋弦の話の真実性を確認することができなかったので、これを事実として対応することはできず、この時点でも右申請を決意しなかったが、韋弦の話が真実である場合に備えて、防衛的な準備に着手しようと考え、弁護士に今後の対応について相談をしたというものである。

しかしながら、前記認定のとおり、原告が被告に提出した「政治難民申請の期限に関する説明」と題する書面には、平成二年七月に前記「民主中国」の記事を読み、自分が第五類に該当するため、迫害の対象となっていると感じた旨が記載されているのみならず、原告は、勝田調査官による事情聴取においても、難民としての該当性があると感じたのは右記事を読んだときである旨を繰り返し供述している。そして、右記事が、アメリカ及びカナダに在留する中国人留学生に対する対応として指示されたものであるとしても、その内容は、第五類に対して、情け容赦なく摘発、攻撃するという、政治的理由により迫害する旨の確固たる方針を示しているものであり、このような中国政府の方針は他の国に在留する留学生にも及び得るという可能性も否定できないのであるから、右記事によって、自己が第五類に該当すると認識すれば、迫害を受けるという現実的な認識をもつこともあながち不自然なこととはいえない。

他方、原告は本件申請に係る難民認定申請書等の書面においても、勝田調査官による事情聴取の際にも、平成二年一一月に迫害を受けるという認識をもったという主張を一切しておらず、右主張は、本訴において初めてなされたものである。

そうすると、原告が難民となる事由を知った日は、平成二年七月又は遅くとも同年九月であると解すべきであって、これに反する原告の右供述部分は、原告の右供述の経緯に照らして直ちに措信することができず、他に原告の主張を裏付けるに足りる証拠はない。

したがって、原告の右主張は失当である。

二  争点2(本件申請が申請期間経過後にされたことについて、法六一条の二第二項ただし書にいう「やむを得ない事情」があるか否か。)について

1 前記のとおり、法六一条の二第二項は、難民認定行政の公正、円滑な実施を図るために、申請期間の制限を設けたものと解される。

他方、法六一条の二第二項ただし書は、右申請期間の制限規定の例外として、「やむを得ない事情」がある場合を定めるが、右事情を緩やかに解すれば、右制限規定を設けた趣旨が無意味に帰することになってしまうおそれも生じかねない。

したがって、同項ただし書にいう「やむを得ない事情」とは、申請期間内に申請をする意思を有していた者が、病気、交通の途絶等の客観的事情により物理的に入国管理官署に出向くことができなかった場合のほか、本邦において難民の認定の申請をするか否かという意思を決定するのが客観的にも困難と認められる特段の事情がある場合をいうものと解するのが相当である。たとえば、申請者が、第三国での難民としての保護を希望し、その目的で右第三国への入国申請等具体的な手続を行っていたが、その申請が認められず、その時点で既に申請期間が経過し、あるいは右期間の満了が切迫していたような場合において、右第三国への入国申請が認められなかった時から本邦における難民の認定の申請に要すると認められる合理的期間内に申請がされたようなときには、同項ただし書にいう「やむを得ない事情」に該当するというべきである。

2  そこで、本件申請が申請期間経過後にされたことについて、法六一条の二第二項ただし書にいう「やむを得ない事情」があるかどうかについて検討する。

(一) 原告は、日本国政府が、アルシュ・サミット及びヒューストン・サミットによる合意に基づき、原告に長期の在留を認めると確信し、そうであれば難民の認定の申請を行う必要がないと考えていたが、これが認められなかったことから、右申請を行わざるを得なかったものであり、このような事情は「やむを得ない事情」に該当する旨主張する。

しかしながら、右事情は、日本国政府の中国人留学生に対する在留資格についての対応をうかがっていたというものにすぎず、申請期間内に難民の認定の申請をするのが物理的に不能であったり、本邦において右申請をすべきか否かという意思を決定するのが客観的に困難な場合に当たるものとまではいえないから、これをもって「やむを得ない事情」に該当するとはいえないというべきである。

(二) また、原告は、当初、アメリカへの入国を希望していたが、同国に入国するための査証の発給を拒否されたことにより、本件申請の直前になって、本邦に保護を求めることを決意したのであるから、このような事情は「やむを得ない事情」に該当する旨主張する。

しかしながら、証人勝田健三の証言によれば、原告は、勝田調査官による事情聴取において、平成二年九月一八日、民主中国陣線第二回世界大会への出席を目的としてアメリカへの入国を申請したが、右申請は、アメリカに長期間滞在しないことを立証する資料が不十分であるとして、右同日、不許可となった旨供述していること、原告本人尋問においても、原告は、アメリカへの渡航目的は中国情勢及び各国の留学生の保護についての情報収集にあった旨供述していることに照らすと、原告のアメリカへの入国は、難民として同国の保護を受けることを目的としたものであると認めることは困難であるといわざるを得ない。

しかも、本件申請は、原告がアメリカへの入国申請を不許可とされてから二か月以上経過後にされたものである。

そうすると、原告の主張に係る事情をもってしては、原告について、第三国での難民としての保護を希望し、その目的で右第三国への入国申請等具体的な手続を行っていたが、その申請が認められなかったため、速やかに我が国に対し難民としての保護を求めるというような事情があったものとは認められない。

(三)  以上によれば、本件申請が申請期間経過後にされたことについて、法六一条の二第二項ただし書にいう「やむを得ない事情」があったとは認められないというべきである。

三  争点3(申請期間を制限した法六一条の二第二項は無効か否か。)について

1 難民条約及び難民議定書は、難民の認定手続について特段の規定を設けておらず、右手続については、締結国の立法裁量にゆだねられているのであって、難民条約の締結国は、各国の実情に応じて、右手続を定めることができるものというべきであるところ、法六一条の二第二項が、申請期間の制限を設けているのは、前記のとおり、難民となる事由が生じてから長期間経過後に難民の認定が申請されると、その当時の事実関係を把握するのが著しく困難となり、適正な難民の認定ができなくなるおそれがあるため、難民認定行政の公正、円滑な実施を図ろうとするものであると解することができる。

右のような趣旨に照らすと、同項には合理性が認められ、これを直ちに無効ということはできないというべきである。

2  これに対し、原告は、法六一条の二第二項が、申請期間をわずか六〇日以内とするのは不合理であり、かつ、難民条約及び難民議定書の趣旨に反し無効であると主張する。

もとより、申請者にとって、難民の認定の申請をすることは、重大な決断を要するものであることはいうまでもないが、難民とは、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するものをいう(法二条三号の二、難民条約一条、難民議定書一条)のであるから、申請者が、自己が難民に該当するという恐怖を有している場合には、その恐怖から早期に逃れるため、速やかに他国に保護を求めようとするのが通常であって、難民に該当する要件があると考えながら、長期間にわたって難民の認定の申請をするかどうかを迷うという事態は一般的には考え難いところである。仮に、申請者が難民の認定の申請をするかどうかを一定期間考慮したり、本国の情勢を把握する必要がある場合であっても、そのための期間として六〇日間という期間が必ずしも不十分であるとまでいうことはできず、その他、我が国の地理的、社会的実情に照らして、右期間が不十分であるような事情は格別見当たらない。なお、原告は、申請者が申請期間内に自己が難民に該当することを裏付けるに足りる証拠を収集するのは困難である旨主張するが、仮に、申請者が、右期間内に難民該当性を立証するに十分な証拠を収集することができなかったとしても、被告は、申請者が提出した資料のみでは適正な難民の認定が出来ないおそれがある場合その他難民の認定又はその取消しに関する処分を行うため必要がある場合には、難民調査官に事実の調査をさせ(法六一条の二の三第一項)、右調査のため必要があるときは、関係人に対し出頭を求め、質問をし、又は文書の提示を求めたり、公務所等に照会して必要な事項の報告を求めることができる(同条二、三項)のであり、申請者が立証を尽くす機会を保障しているというべきであるから、原告の右主張は理由がない。

また、前記のとおり、難民の認定手続については、締結国の立法裁量にゆだねられているのであるから、法が申請期間の制限を設けたことをもって、直ちに難民条約及び難民議定書の趣旨に反するものとはいえないし、仮に、法の定める難民の認定手続に諸外国の立法例と異なる規定があるとしても、右規定が直ちに無効であるといえないことは明らかである。

さらに、原告は、申請期間の制限規定が外国人に周知されていない旨主張するが、自国の法律を外国人に周知徹底しなければならないとする確立された国際法規が存在するわけではないし、難民が上陸又は在留許可申請などの際に申し出れば、その段階で難民の認定の申請手続について知り得るのであるから、周知性がないことをもって右規定を無効ということはできない。

なお、原告は国際連合難民高等弁務官事務所上席法務官の回答(甲三二号証)及び昭和五四年に開催された同事務所執行委員会三〇会期における採択(甲三三号証)などに照らすと、申請期間を遵守していないという理由で、申請者の難民該当性についての実質的要件を審査せずに難民に該当しないという取扱いをしてはならない旨主張するが、甲三二号証及び三三号証に照らせば、右回答及び採択は、難民条約の締結国に対する要望を明らかにしたものにとどまり、締結国を法的に拘束するものではないというべきである。

したがって、原告の右主張は、いずれも失当である。

四  原告は、勝田調査官の調査は、適正な難民の認定を確保するための事実調査といえるものではなく、十分に合理的な調査を尽くしたとはいえず、その結果、事実誤認さえ引き起こしている旨主張する。

しかしながら、原告の右主張は、申請期間の起算日を判断する前提として、申請者が難民に該当するか否かという判断が必要であるとする自己の見解に立脚するものであるから、その前提を欠き失当である。

五  よって、原告の請求は、理由がないから、これを棄却することとする。

(裁判長裁判官秋山壽延 裁判官竹田光広 裁判官森田浩美)

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